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東京地方裁判所 平成6年(ワ)15856号 判決 1996年10月25日

原告

森脇宏

右訴訟代理人弁護士

高橋信

被告

フューチャーズ・フットボール・クラブ株式会社

右代表者代表取締役

有田平

右訴訟代理人弁護士

藤本齊

黒澤計男

主文

一  被告が、平成六年二月八日、原告に対してなした日本サッカー協会に加盟するプロサッカーチーム「PJMフューチャーズ」の選手としての地位を解除する旨の意思表示が無効であることを確認する。

二  被告は、原告に対し、一九九万二四〇〇円及びうち一二万二四〇〇円に対する平成六年二月二六日から、うち一七万円に対する同年三月二六日から、うち一七万円に対する同年四月二六日から、うち一七万円に対する同年五月二六日から、うち一七万円に対する同年六月二六日から、うち一七万円に対する同年七月二六日から、うち一七万円に対する同年八月二六日から、うち一七万円に対する同年九月二六日から、うち一七万円に対する同年一〇月二六日から、うち一七万円に対する同年一一月二六日から、うち一七万円に対する同年一二月二六日から、うち一七万円に対する平成七年一月二六日から、それぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨

第二事案の概要

本件は、原告が、原告は、日本サッカー協会に加盟するプロサッカーチーム「PJMフューチャーズ」との間で、原告を同チーム所属の選手とする旨の契約を締結したが、これを不当に解除され、同チームの選手としての地位を解除されたと主張して、右チームの契約上の地位を承継した被告を相手方として、右解除の意思表示の無効確認を求めるとともに、右契約に基づく未払賃金及びこれに対する遅延損害金の支払いを請求した事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和五〇年三月二二日生まれの男性で、平成五年ころまで、ブラジルのアトレチコ・ミネイロ・サッカークラブに、サッカーの研修を受ける目的で留学していた。

2  被告は、平成六年二月二八日に設立された株式会社であり、設立前から存した日本サッカー協会に加盟するプロサッカーチーム「PJMフューチャーズ」(以下、「PJM」という。被告設立前の時点ではチーム名及び契約当事者の双方を意味し、被告設立後の時点ではチーム名を意味するものとして用いる。)の選手契約に関する当事者の地位を承継し、設立後は同チームを所有・経営している。

3  原告は、平成六年一月一一日、PJMの浜松寮に入り、同月一七日からサッカーの練習を開始したが、同年二月八日、退寮した。

二  争点

1  原告とPJMの間における選手契約締結の有無

2  PJMの原告に対する選手契約解除の有効性

三  争点に関する当事者の主張

(原告)

1 原告は、次項記載の経緯により、遅くとも平成六年一月一一日までに、PJMとの間において、次の内容の選手契約を締結した。

<1> 期間 平成六年二月一日から平成七年一月三一日まで。

<2> 基本給 年額二〇四万円

<3> 支払方法 基本給の月割額(一七万円)を毎月二五日に支給する。

<4> 支度金 五〇万円

2 原告は、日本におけるプロのサッカー選手となることを目指し、中学校を卒業した後ブラジルに留学して、サッカーの研修を受けていたところ、サクセス神戸株式会社代表取締役の長南明が、原告のPJM入団について原告の母である森脇磨里代に打診した上、PJM関係者に対し原告を紹介した。その後、PJMの庶務担当の加藤は、磨里代に対し、PJMマネージャーである本間が原告のプレーを見たいと希望しているので、帰国費用を負担するから、原告を日本に帰国させて欲しい旨要請し、母からその旨の連絡を受けた原告は、平成五年一二月二五日帰国した。原告は、同月二七日、右本間及びPJMのフロント担当である鈴木伸介と面談する機会を持ち、同人らに対し、自己のブラジルにおける経歴を話すとともに、プロのサッカー選手になることを希望しているので、もしPJMに入れないのであれば、他のチームの選考も受ける気持ちがあると述べた。これに対し、PJM側は、原告に対し、翌平成六年の一月中旬ころから始まる練習に参加するように述べ、また、PJMにおいて原告を採用する方針であるからよそのチームの選考は受けないで欲しい旨を要請した。右面談の際、原・被告間で選手契約を締結した場合における基本給、出場給、特別給についての話があり、原告は特別給の勝利プレミアムとして選手権出場選手と同額の四万円として欲しいとの希望を出した。

原告は、平成五年一二月二九日正午ころ、自宅において鈴木から電話連絡を受け、原告を正式に選手として採用すること、後日書類を送付すること、セレクションは行わなくて良いこと及び契約締結のために年明早々に来て欲しいことを告げられると共に、他のチームの選考を受けないで欲しい旨を要請された。これに対し、原告は「よろしくお願いします。他のチームは受けません。」と返答し、ここにおいて、PJMと原告との間に選手契約が内定した。

原告は、二日後の平成五年一二月三一日、PJMから、同月三〇日付けの「契約条件に関する通知書」との表題の書面を速達郵便で送付された。右通知書には、契約期間につき、契約締結日から平成七年一月三一日まで、報酬につき、基本給が年額二〇四万円、出場給が一試合一〇万円、勝利給が一試合四万円等との条件で、PJMが原告と「プロ選手統一契約」を締結したい旨の記載がなされていた。原告はPJMとの間で右内容の選手契約を締結することとし、平成六年一月五日、浜松のPJMを訪れ、鈴木及びPJM職員の阿久津某に対し、前記通知書に記載されていた金額での選手契約の締結を承諾する旨伝えた上、契約期間については、一年間としたいと要望した。鈴木及び阿久津らは、契約書二通に、右通知書に記載されていたのと同額の金額を、一頁の当事者に原告名を、三頁の有効期間欄に期間を同年二月一日から翌年一月末とする旨をそれぞれ記入し、次に、原告が四頁の選手欄に住所、氏名、生年月日を記入し、押印した。原告及び鈴木らは、原告が寮に入る日を同年一月一一日と約し、また、原告が当時未成年者であり、母磨里代の署名、押印を得る必要があったことから、原告が契約書二通を一旦持ち帰ることとした。そして、原告は、同年一月一一日、PJMの浜松寮に入寮し、磨里代が法定代理人として署名、押印した前記契約書二通をPJM側に交付した。

以上からすれば、原告とPJM間における本件選手契約は平成六年一月五日に成立したと考えられるが、そうでなくても遅くとも同年一月一一日には成立したものである。

3 PJMは、同年二月八日、原告に対して、原告がプロサッカー選手としての技能を有しないとして口頭で本件選手契約を解除する旨意思表示した。しかし、右意思表示は、契約所定の解除事由が存せず、また方式も契約所定の配達証明付内容証明郵便による書面通知によるものではないから無効である。

(被告)

PJMが原告との間において本件選手契約を締結した事実はない。

まず、平成五年一二月二九日、鈴木は原告に電話をしたが、その際、原告に対し、正式に選手として採用するとの発言はしていない。その時点において、PJMには、原告に関する情報が全くといって良いほど存在しなかったのであるから、原告の技量を確認せず、二日前の一時間程度の面談のみで、原告と選手契約を締結する意思を固めることは常識的に考えられないし、選手契約締結の意思決定は、フロントサイドのみにおいてできることではなく、現場担当者との合議による決定過程が不可欠であるが、被告の現場担当者は、同日までの間、原告と会っていない。したがって、一二月二九日の時点におけるPJMの選手契約意思決定はあり得ない。

次に、PJMは、原告に対し、平成五年一二月三一日到達の通知書を送付したが、これは、選手契約を締結するまでの交渉過程において、契約が成立した場合の内容中の最も基本的な部分を明確に呈示しておくための文書であって、原告に対し、選手契約の締結を申し込んだ通知ではない。

さらに、PJMは、平成六年一月五日、原告に対し、「日本サッカー協会選手契約書」と題する契約書を交付しており、右契約書は、当事者双方の署名、押印が付された状態となっているが、これも、契約の申込みないし契約の締結を証するものではない。すなわち、プロスポーツ選手契約は、試合での功績や勝敗等の成績その他の実績により、報酬その他の反対給付を受けることを約する趣旨を根幹にすえる契約であるため、基本給等の部分の取決めに加え、チーム全体や個人の実績に対応する給付を取り決めるのが通常であるところ、被告が交付した右契約書の実績に対応する項目等の部分はブランクとなっているのであるから、選手契約の本質的な部分が欠落しているといえる。また、右契約書には、PJM代表者と原告及びその法定代理人である磨里代の署名、押印がなされているが、右のPJM代表者による署名押印は、事務処理の便宜のため、当年度中に使用する契約書に予め施してあったもので、原告との契約締結のためにしたものではなく、PJMが、右契約書に原告らが署名、押印することを認めたのは、将来、選手契約を締結する段になった場合に法定代理人の署名、押印を得る便宜のためであり、PJMは右契約書の原告側署名欄に署名、押印がなされることについては認識していたものの、その署名をもって契約締結を了する意思はなく、いわば、単なる事務上の便宜のために当事者の署名、押印がそろったに過ぎない。

以上のとおり、原告とPJMの間には、選手契約は成立していない。原告は、PJM入団を希望する長期のテスト受験者であり、平成六年一月一一日に入寮した後、練習に参加し、PJMは、同年二月八日、現場担当者とフロントとの合議により、契約しないことを決定し、その旨原告に伝えたものである。

第三当裁判所の判断

一  原告とPJM間の選手契約締結の有無について

1  (証拠・人証略)(但し、<人証略>の証言については、以下の認定に反する部分を除く。)、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

<1>原告は、平成五年一二月二七日、中村真一と共に東京の恵比寿に所在するPJMの親会社の本部事務所を訪れ、鈴木及び本間と面談し、その席上、PJM入団のためのセレクションを年明けに行うとの話がなされた。<2>鈴木は、当時、PJMの選手契約関係事務を担当する「フロント担当」という職務に従事していた。<3>同月二九日、鈴木は、自宅にいた原告に対して電話をし、原告を選手として採用する旨及び金額等を呈示した書類を後日送る旨伝えた。<4>同月三一日、PJMから、代表者名欄に署名押印が施された「契約条件に関する通知書」との表題の書面(<証拠略>。以下、「本件通知書」という。)が原告宛てに送付された。そこには、「この度、当クラブは貴殿と下記の条件において「プロ選手統一契約」を締結いたしたく、この旨ご通知申し上げます。」との記載があり、その下に「記」として、契約期間について、契約書締(ママ)結日から平成七年一月三一日まで、報酬について、基本給が年額二〇四万円、出場給が一試合一〇万円、勝利給が一試合四万円との旨の記載がなされ、さらに、注意書として「上記出場給・勝利給はJFLリーグ戦及び天皇杯・カップ戦にのみ適用する。寮の問題については別途説明いたします。」との記載がなされていた。本件通知書は、鈴木の指示に基づきPJMの経理担当である高橋が送付したものであった。<5>平成六年一月五日、原告は、中村と共に浜松のPJMに行き、鈴木に対し、本件通知書に記載された金額でPJMと選手契約を締結することを承諾する旨伝えた。鈴木は、同席したPJM職員の阿久津某と共に、PJMが正式契約を締結する場合に使用している「日本サッカー協会選手契約書〔プロ選手統一契約書〕」との表題のある契約書を原告及び中村に示して、そこに記載されている条項の内容を細かく説明するとともに、基本給の年額及び一試合当たりの出場給額欄等に本件通知書で示したのと同額の金額を書き入れた(但し、出場給の総額は年三〇〇万円とし、試合数は三〇試合とした。)。また、契約期間については、PJM側は複数年でもよい旨述べたが、原告の希望により、一年間とすることとした。右契約書には、既にクラブ名欄にPJMの記名がなされ、また代表者名欄にPJM代表者名で署名、押印が施してあった。原告は、鈴木の前で右契約書の選手名の欄に署名、押印した。<6>原告は、当時未成年者であったことから、右契約書の法定代理人欄に原告の唯一の親権者である母磨里代の署名、押印を得るため、契約書二通(いずれも同一内容)を自宅に持ち帰った。原告は、磨里代に内容を確認してもらい、その同意を得た上、右契約書の法定代理人欄に磨里代の署名、押印を受けた。そして、平成六年一月一一日、鈴木に右二通の契約書を交付した(<証拠略>はその一通。以下、「本件契約書」という。)。

2  以上の事実関係によれば、PJMは、平成五年一二月二九日から、平成六年一月五日までの前記電話連絡、本件通知書送付、前記契約書の呈示及びその説明等の原告に対する一連の言動により、遅くとも右<5>のやり取りがあった時点には、本件通知書及び本件契約書記載の待遇等で原告がPJMにおいてプロサッカー選手として活動する旨の選手契約の申込みを原告に対してなし、これに対して、原告が同月一一日に本件契約書を鈴木に交付して右選手契約の締結を承諾したことにより、原告とPJMの間において右選手契約が成立したと認めるのが相当である。

3  なお、被告は、PJMには原告と本件選手契約を締結する意思はなく、また本件通知書及び本件契約書はいずれも本件選手契約締結の事実を証するものではないと主張するので、この点について検討する。

まず、契約締結意思の点について、被告は、本件契約書作成前に、PJMが一度も原告が実際にプレーするところを見ていないこと、フロントと現場担当者の採用に関する合議を経ていないこと、本件契約書中に未補充の空欄部分が存することを不存在の裏付けとして指摘する。

確かにプロスポーツにおいて選手契約を締結する場合には、選手としての技量を確認した後に行うことが通常の形態と考えられるところ、PJMは本件選手契約締結までに原告に対する実技選考等を実施するなどしてそのプレーを見たわけではないが、(証拠略)並びに(人証略)の各証言によれば、原告については、そもそもPJMの親会社の兵庫地区販売代理店社長である長南からPJMに対する推薦ないし紹介があったことが認められる他、(証拠略)、(人証略)の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、小学校のころからサッカーを始め、中学校時代には兵庫フットボール・クラブという名称のサッカークラブに所属して兵庫県大会及び関西大会を経て全国大会に出場した経験があり、日本におけるプロのサッカー選手となることを目指して、中学校卒業後ブラジルに渡り、アトレチコ・ミネイロ・サッカー・クラブに研修生として所属し、平成三年には、アマチュア選手をプロに育て上げることを目的とするベンダ・ノーバ・フットボール・クラブに選手登録し、同クラブ在籍中、ミナスサッカー協会のミナスリーグに出場し、平成四年にはプロチームのトレイスポンタ及びグァラニチームでプロ選手と共にトレーニングをし、ブラジルのサッカーチームとして有名なクルゼーロの練習試合に出場し、また平成五年末ないし平成六年一月ころ、右クルゼーロに選手登録する予定があったこと、また、平成五年一二月二七日の面談において、原告が右のような経歴をPJM側に対して説明したこと、この席でPJM側も原告に対し「君のことは聞いている。」といった旨の発言をしていたこと等が認められることからすれば、PJMにおいて、原告のそれまでの実績及び経験を重視するとともに、当時まだ一八歳であった原告の将来性に期待して、実際にプレーを見ることなく契約締結意思を固めたとしても決して不自然ではない。(人証略)の証言の中には、PJMが原告と本件選手契約を締結する意思がなかった旨供述した部分があるが、このような経緯や本件通知書や本件契約書の表現等に照らすと、採用できない。

また、フロントと現場担当者との合議を経ていないとする点については、証拠上何らの打ち合わせ等が行われていないと認め得るまでのものがないが、仮に、実際にフロントが現場担当者との間で原告の採用について相談、打ち合わせ等をしていなかったとしても、それはPJM内部の連絡の問題にすぎないと言うべきであって、前記認定のとおり、PJMのフロント担当としてプロ選手契約締結事務に関する権限を有していた鈴木が、その判断で前記のような書面の送付、交付や発言等をしている本件では、それをもってPJMの契約締結意思の存在を疑わせるものとは言い得ない。

次に、(証拠略)によれば、本件契約書には、実績に対応する項目(クラブ順位や個人成績等による成果プレミアム部分、日本代表チームへの選出等の特別プレミアム部分)等について、補充未了の空欄部分が存することが認められるが、他方不動文字ではない部分のうち、基本給、出場給、契約の有効期間及び実績に対応する項目中の勝利プレミアムの欄は補充されていることも認められるのに加え、(人証略)の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告が、平成六年一月五日、鈴木らから本件契約書の説明を受けた当時、鈴木、原告共に、原告が当初から大きな試合に出場する等して実績を挙げるとは考えていなかったことが認められることからすれば、右未補充部分が存するからといって、本件選手契約の本質的部分が欠落しているとは到底言い得ず本件選手契約の成否に影響するものではない。

本件通知書が、選手契約締結事務に関する権限のある鈴木の意思に基づいて作成されたもので、文面上、明らかに原告に対する選手契約締結の申込み意思が存すると理解されるのが通常である表現を用いていること、本件契約書が、契約内容が詳細に記載してあるプロ選手統一契約書用紙を用いており、(人証略)の証言によれば、この用紙は、正式契約締結の時に用いるものと同一様式であることが認められること、被告も、本件契約書のPJMの代表者の署名、押印部分が権限を有する者によって作出され、また、本件契約書がPJMの意思に基づき原告側に交付されたこと自体は認めていること等を前記認定の諸事情と総合すれば、PJMの本件選手契約締結意思の存在は十分に認め得るところである。

4  さらに、本件においては、(証拠・人証略)並びに原告本人尋問の結果によれば、<1>磨里代は、平成五年一一月二九日に、勤務先でPJMの加藤某から電話連絡を受け、原告を帰国させて欲しい旨の依頼を受けるとともに帰国費用を負担する旨の申出を受けており、平成六年一月一八日、原告の銀行口座に右帰国費用を含む支度金として五〇万円がPJM側から振り込まれたこと、<2>原告は、PJM関係者から、給料を振り込むために、静岡銀行富塚支店に口座を開設するよう指示されて、同銀行の口座を開設し、右口座には、PJM側から、平成六年一月二五日付けで六万七三二〇円の振込みがなされたこと、<3>原告は、PJM側から、同年二月八日までの給料として四万二八四〇円の送金を受けていること、<4>右<2>及び<3>の各金員の支払いについて、原告は、PJMから、右各金額の明細が記載された「一月分報酬明細」あるいは「二月分報酬明細」との表題の付された明細表を受け取ったこと、<5>原告は、PJMから、これまで母の扶養家族として加入していた健康保険から抜けて、国民健康保険に加入することや、浜松の寮に入るので住民票を移すことを指示されて実行し、さらに、移籍証明書の交付を求められ、これをブラジルのベンダ・ノーバ フットボールクラブから取り寄せたこと等が認められるのであるが、以上は、本件選手契約が締結されていたことを前提とした場合に、最も自然な成行きとして理解できる事柄である。また、(人証略)の証言及びこれによってその成立が認められる(証拠略)によれば、磨里代は、平成六年一月一二日、右支度金の振込先の銀行口座番号を伝えるために、鈴木宛てに「このたび正式契約を致しました森脇宏の口座振込み口座番号をお知らせ致しますのでよろしくお手配下さいませ。」と記載した書面をファクシミリで送信した事実が認められるが、他方、これに対してPJM側が未だ正式契約をしていない旨を磨里代や原告に指摘した等の事情は、本件証拠上窺われない。

なお、(人証略)の証言中には、平成五年一二月二九日の電話で、原告に対し、「寮に入って練習に参加してもらって一七日間の合同練習の中で現場のスタッフの方が判定します。」との旨を伝えたとの部分があるが、反対趣旨の原告本人尋問の結果及び既に認定、説示したところに照らして、直ちには信用できない。

二  PJMの原告に対する本件選手契約解除の有効性について

1  (証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、平成六年二月八日、鈴木から、練習についていけないようであるとの理由により、本件選手契約を解除する旨の意思表示を受けたことが認められる。

2  本件選手契約解除の有効性について検討するに、(証拠略)によれば、本件契約書一〇条一項には、次の規定が存することが認められる。

一〇条〔クラブによる契約解除〕

一項 次の各号のいずれかに該当する事実があった場合、クラブは、選手に対し書面(配達証明付内容証明郵便による。以下同じ)で通知することにより、本契約を直ちに解除することができる。

(1) 選手が本契約の定めに違反した場合において、クラブが改善の催告をしたにもかかわらず、これを拒絶または無視したとき

(2) 選手が疾病または傷害によりサッカー選手としての技能を永久的に喪失したとき

右規定は、契約解除原因になりうる事由を列挙することにより、契約選手に対し警告を与えるとともに、列挙された事由以外の原因では、契約解除されないことを保障して、契約選手の身分の安定をはかり、かつ契約解除をする場合においても、配達証明付内容証明郵便による通知によることとして、手続的明確性を要求した規定であると解される。そうすると、クラブ側から選手契約を解除できる原因事由は同項記載の事由に限定されると解するのが相当である。

3  そこで原告につき同項該当事由の存否につき検討するに、本件全証拠をみても、原告に右解除事由が存したことを認めるに足りる証拠はなく、また、(証拠・人証略)によれば、原告は、本件契約解除に関し、配達証明書(ママ)付内容証明郵便による通知を受けていないことが認められる。

以上からすれば、被告による本件契約解除は、無効であると言う外はない。

三  原告の被告に対する給与支払請求権について

以上のとおり、本件契約解除は無効であり、原告は、被告に対する給与請求権を有していることとなるところ、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、本件選手契約における原告の基本給は、選手及びクラブの成績如何にかかわらず、年額で定められた金額の月割りをもって支給するものであること、原告の基本給は年俸二〇四万円であり、その支払日は毎月二五日であること、本件選手契約の期間は平成六年二月一日から平成七年一月三一日までであることがそれぞれ認められるから、被告は原告に対し、平成六年二月から平成七年一月までの間、月額一七万円を毎月二五日限り支払う義務を有していたことが認められ、当月支払分の給与について、支払日の翌日である当月二六日から遅滞を生じることとなる。

四  総括

以上のとおりであるから、原告の本件請求はいずれも理由がある。

(裁判官 合田智子)

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